2012年8月 7日 (火)

噂になっていた女子バレー木村沙織のスキャンダル スリーサイズ・カップが明かに?!

オリンピック女子バレー木村沙織のスキャンダル

木村沙織「前々回、前回の五輪に比べて気持ちに余裕がある」=バレーボール女子

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 ロンドン五輪のバレーボール女子は5日(現地時間)に1次リーグ最終戦を行い、日本は開催国の英国に3-0(25-19、25-14、25-12)のストレートで勝ち、A組3位で準々決勝進出を決めた。

木村沙織
「きょうの試合に関しては、個人的にもチームとしても、もったいないミスがありました。チームの雰囲気はすごくいいですし、次の試合が本当に大事。アテネでも北京でも次の準々決勝で負けているので、このロンドンではしっかりと勝てるように頑張りたいです。
 まずは一本目のサーブカットに集中して、上がってきたボールはしっかりと得点できるよう、日本らしいバレーができるように頑張りたい。今のチームならどの国のチームと対戦しても勝てるチャンスがあると思います。相手の隙を突いていけるよう、自分たちのバレーをしっかりやっていきたい。
 アテネ、北京のときは、自分は必死にやっているだけでした。でも、今はチームとか周りを見ながらプレーをできている。前々回、前回の五輪と比べて気持ちに余裕があるかなと思います。自分たちが勝つためには、自分たちからミスが出るのが一番流れが変わってしまうことなので、相手よりミスを出さず、しつこいバレーをしていきたい」

木村 沙織(きむら さおり、1986年8月19日 - )は、日本の女子バレーボール選手。ニックネームはサオリ。プレミアリーグ・東レ・アローズ所属。2012年シーズンよりトルコバレーボールリーグ・ワクフバンク・テュルクテレコムへ移籍する。

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埼玉県八潮市生まれ。その後父親の仕事の都合で大阪、東京と転々とした後、東京都あきる野市の多西小に通う。バレーボールをしていた両親(特に母親)の影響を受け、小学校2年生の時に秋川JVCに入団し、バレーボールを始める。秋川JVCは守備練習中心のチームで、この頃レシーブ練習を数多くこなした事が、現在のレシーブ力に生かされていると本人は言っている。チームでは主にレフトを務め、小学校6年生時には東京新聞杯で優勝している。小学校4年生の頃に「週末に思う存分友達と遊んでみたい」との理由で2週間ほどチームを辞めているが、バレーボールから離れたのはこの期間だけである。

中学校は名門、成徳学園中学校(現・下北沢成徳中学校)に進学。ここで大山加奈、荒木絵里香、大山未希など、以後チームメイトとなる選手達と出会う。中学校入学時には163cmとさほど高くはなかった身長は、中学3年間で約15cmも伸びた。以後ポジションはセンターとライトを務める事が多くなり、主力選手として全日本中学校バレーボール選手権大会優勝、全国都道府県対抗中学バレーボール大会(アクエリアスカップ)でJOC杯受賞。Bクイックは得意技と言えるほどに上達し、プレーに幅が出た。

ロンドンで撮られていた赤外線が早くも流失

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中学校2年生の頃、バレー人生で初の骨折(左手中指の付け根)。全治2週間と軽度だったため大事には至らなかった。

2002年、超名門として知られる成徳学園高校(現・下北沢成徳高等学校)に進学。高校2年生になるとライトで主力選手となり、2003年春高バレーで優勝を収め、成徳の2連覇に貢献した。同年8月開催のインターハイは3位に終わり連覇を逃したが、インターハイ閉幕と同時に全日本代表から強化合宿に招集され、同年9月のアジア選手権に出場。当初はセッター登録であった。そして11月開催のワールドカップに故障の鈴木洋美の代役として出場した。

12月の全国私学大会で下北沢成徳高は大会初の3連覇を達成。2004年春高バレーでは大会3連覇を目指し決勝に進出したが、第1セット、スパイクを決めた直後に味方選手である横山友美佳と接触し転倒、右足首を捻挫。応急処置を施したのちに足を引きずりながらプレーを続行したが、結局九州文化学園に1-3で敗戦し準優勝であった。

2004年アテネオリンピック最終予選で再度全日本代表に招集され、初戦のイタリア戦で代表初スタメン出場を果たし、14得点をマークすると共に持ち前の性格とあどけない笑顔でスーパー女子高生の呼び名でブレイクした。全日本女子チーム2大会ぶりのオリンピック出場に大きく貢献した。

6月にインターハイ関東予選に出場したが予選敗退。全日本ヨーロッパ合宿に招集されイタリア4ヵ国対抗戦などに出場。7月からは1ヵ月にわたるワールドグランプリに出場するも、日本は予選落ち。目立った活躍は出来なかった。

アテネオリンピックにおけるバレーボール競技は8月14日からの開幕であったが、腰の状態は最悪で立つこともままならない状態だった(アテネで他競技のトレーナーから椎間板ヘルニアと診断された)。そのため出場機会がほとんど無いまま、初めてのオリンピックを終えた。しかし、決勝戦の中国対ロシア戦を会場で観戦し最高峰のプレーを目の当たりにした事で、初めてメダルへの執着心が生まれる。

オリンピック終了後、スリランカで開催されたアジアジュニア選手権に出場。2004年12月、高校最後の大会となる全国私学大会の頃には腰痛がさらに悪化していた。決勝戦の第2セット終盤に出場するが、得点を決めることなく自身の高校バレー生活に幕を閉じた。

2005年7月開催の女子ジュニア世界選手権U-20では、全試合レギュラー出場し得点王に輝き、復活を遂げる。9月1日からのアジア選手権では、当時イタリアリーグへ派遣移籍していたNECレッドロケッツ・高橋みゆきの代役を担ってエースとして活躍した。

自身初のリーグとなった第12回Vリーグでは、開幕戦ライトでスタメン出場を果たす。この試合でのアタック決定率はチームトップの52.0%、サービスエースも2本決め、初白星に貢献。その後もレフト・ライトでスタメン出場を続け、リーグ前半のチーム快進撃の原動力となった。リーグ後半に入ると、アタック決定率は比較的安定していたが、サーブを集中して狙われ、攻撃パターンを封じられた。また腰痛の影響からかキャッチの不安定さもみられたが、アタック決定率リーグ6位、サーブ効果率リーグ9位という成績で新人賞を受賞した。

2006年世界選手権出場、2007年アジア選手権では日本の優勝に大きく貢献し、ベストサーバー賞を獲得。同年ワールドカップに出場した。

2007年、天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会で優勝し初代チャンピオンとなった。

2008年、 2007-08プレミアリーグにおいて東レのリーグ初優勝に貢献し、ベスト6賞を獲得した。同年8月、北京オリンピックに出場した。

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2009年、 2008-09プレミアリーグにおいて女子史上初の二連覇に貢献し、前年に引き続きベスト6賞を獲得した(日本人ベストスコアラー)。同年5月、第58回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会で優勝し、自身初となる黒鷲賞(最高殊勲選手)とベスト6賞を獲得した。

妹・木村美里も2010年より同チームに所属している。

2010年、 2009-10プレミアリーグにおいて女子史上初の三連覇に貢献し、自身初のMVP(最高殊勲選手)に輝くとともに、3年連続ベスト6賞を獲得した。また、熊前知加子の持つ最多得点部門の記録を塗り替え、レギュラーラウンドで合計566点(アタック496点、ブロック43点、サーブ27点)を記録し、Vリーグ日本記録賞(最多得点部門) を受賞した。同年5月、第59回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会で優勝し、2年連続となる黒鷲賞(最高殊勲選手)とベスト6賞を獲得した。決勝のJT戦では、3セット目に一人で14点(25点中)を稼ぐ大活躍を見せた。

ワールドグランプリ2010では、故障明けの栗原恵が不参加だったため、臨時で副キャプテンを務めた。攻守の中心となりチームを引っ張り、予選ラウンドでは165得点、決勝ラウンドでは105得点を挙げ、予選・決勝ともにベストスコアラーに輝いた。チームはイタリアに2度勝利したり、9年ぶりにブラジルに勝利するなど大健闘したが、最終順位は5位に終わった。同年11月開催の世界選手権では、32年ぶりのメダル(銅メダル)獲得に大きく貢献した。エースとしてほぼフル出場し、ベストスコアラーランキングではトルコのネスリハンに次ぐ第2位で、アタック本数、サーブ受数、サーブ本数においては全選手の中で一番の数字であった。

2011年11月2日、日本文化出版から自身初めてとなるフォト&エッセイ「Saori」が発売された。発売を記念して編集担当者が管理するtwitter(木村沙織フォト&エッセイ『Saori』)が期間限定で更新された。木村本人がつぶやくことはなかったが、制作時の裏話や彼女の近況などを編集者を通して伺い知る事が出来た。また、その中で木村本人への質問を募り、バレーボール専門誌月刊バレーボール誌上で回答を行うという企画が行われた。

ワールドカップ2011では早いトスに挑戦した(ワールドカップ時は本来のトスに戻した)影響や、直前の中心メンバーの離脱などもあり、チームも彼女自身も序盤は調子が上がらなかった。若手の台頭などがあり徐々にチームが固まっていき、最終的には当時、世界ランキング1位のブラジルや2位のアメリカをストレートで破るなど、怒涛の巻き返しをみせ、5連勝で大会を締めくくった。しかし惜しくも最終順位は4位となり、上位3チームまでに与えられるロンドン五輪出場権獲得にはあと一歩届かなかった。彼女自身も序盤こそ苦しんだものの、その後は安定した活躍をみせ、最終的にはベストスコアラー第4位、ベストアタッカー第5位、ベストブロッカー第13位、ベストサーバー第11位、ベストレシーバー第3位、ベストディガー第10位という攻守にバランスの取れた個人成績を残した。特にベストレシーバーとベストディガー部門においては守備専門選手のリベロを除くと共に最上位であり、彼女の守備能力の高さを証明する結果となった。

2012年、 2011-12プレミアリーグにおいて、東レアローズ4度目の優勝に貢献した。決勝戦では両チーム最多の20得点をあげ、5年連続のベスト6賞を受賞した。

シーズン途中の2レグ終盤、チームでの練習中に足首を捻挫し、全治3週間という診断を受けた。2012年2月11日、12日に行われた岐阜大会ではチームに帯同はせず、翌週の山形大会からベンチ復帰した(試合には出場しなかった)。実質的な復帰戦であった2月25日の岡山シーガルズ戦では絶不調でアタックで2得点しかあげる事が出来ず、2セット目の途中で交代を余儀なくされた。チームメイトのセッター中道瞳によると、翌日の朝練習で木村は非常にピリピリとした雰囲気で一言も口を利かなかったという。こんなことは初めてで、中道はその日の試合(2月26日久光製薬戦)で出来るだけ彼女にトスを上げることを心がけたという。故障開けにもかかわらず彼女は試合にフルセットフル出場し、チーム最多の24得点をあげ、チームは勝利を収めた。

2012年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーに選出された。オリンピック出場は3大会連続となる。

ロンドンオリンピック終了後、2012年 - 2013年シーズンよりトルコリーグのワクフバンク・テュルクテレコムへ移籍することが2012年7月10日に発表された。これに伴い、9月30日付で東レを退職する予定。

バレー界最大のスキャンダルが明かに

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COMMENT:

すごい大好きになっちゃったかもwwwwww
2012年8月9日 17:39

サイコーにエロい体してるな
2012年8月7日 16:25

年上好きなのか(笑)
2012年8月7日 10:53

声までしっかり聞こえてるしwwwwwwww
2012年8月7日  1:02

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